新京成線 鎌ケ谷大仏駅のすぐ近く、木下街道(県道59号線)と県道57号線(千葉鎌ケ谷松戸線)が交差するところが大仏十字路です。
そのそばにある大仏墓地には、鎌ケ谷大仏や官軍兵士の墓などの史跡があります。
はじめに、鎌ケ谷大仏を見てみましょう。
|
鎌ケ谷大仏の全景 |
|
鎌ケ谷大仏の説明書き (鎌ケ谷市教育委員会) |
|
鎌ケ谷大仏を横から見たところ |
大仏墓地の右奥の方には、
戊辰戦争(慶応4年/明治元年)における戦闘のひとつ
「市川・船橋戦争」で落命した官軍兵士(佐土原藩兵)の墓があります。
|
官軍兵士の墓 |
|
官軍兵士の墓の説明書き (鎌ケ谷市教育委員会) |
|
2名の兵士の墓標 明治19年に(1886)に千葉県が建立 |
二基の墓石の後方両脇にも、小さな墓石が それぞれひとつずつあります。
佐土原藩(さどわらはん)の藩主は、島津氏の支族である佐土原島津家。
これらの墓石に彫られている 丸に十字の家紋は まさに島津家のものです。
なお、ふたりの墓石の戒名に使われている「義」の字は、同じ字体ではありません。
多分、意味が異なるのでしょう。
|
蓑毛次右エ門の元の墓石でしょうか (墓の右側)
戒名は「勝利劔義山居士」 |
|
己之助の元の墓石でしょうか (墓の左側)
戒名は「義望劔昇立居士」(「義」の左下は 「禾」) |
墓地内には、青面金剛塔や馬頭観音塔が多く置かれています。
周辺の路傍に置かれていたものが、ここに集められたのでしょう。
|
青面金剛像と青面金剛文字塔 |
|
馬頭観音塔 左側の塔には 馬の頭が彫られています |
|
右は馬頭観音像 頭上に馬頭を戴いています |
墓地の右奥には、かつての野馬土手跡が残っており、墓地外へと続いています。
|
墓地内に残る野馬土手跡 塀の向こうに続いています |
|
塀の上から撮った野馬土手跡 |
|
野馬土手跡 奥に見える塀の向こうが大仏墓地です |
|
つい最近まで大きな木が茂っていましたが、みんな伐られてしまいました |
➜ 鎌ケ谷宿とその周辺を歩く (7) 清田家の墓地・駒形大明神
➜ 鎌ケ谷の神社(8) 鎌ケ谷八幡神社(その1)