本埜の瀧水寺に寄った折に、路傍に石塔が建っていることに気づきました。
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石塔は 千葉県道64号線沿いに建っています クリックしてご覧ください |
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例により 庚申塔でした |
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「明治5年(1872)11月吉辰(吉日)」建立とあります |
この庚申塔は 道標を兼ねていて、左右の側面と背面には 道の行き先が彫られています。
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庚申道標を右手から見たところ |
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右面には 「西 きをろし(木下)」とあります |
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庚申道標を左手から見たところ |
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左面には 「東 さくらミち(佐倉道)」とあります |
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背面には 「南 ふな於(船尾) 東京」とあります |
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庚申道標の近くから砂利道が続いています |
近くで働いている方におききしたら、この道は「
赤道」であるそうです。
ということは、かつては生活道として使われていたということです。
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どこに続いているのでしょうか |
道標の置き方を 反時計回りに90°戻すと、本来の向きになります。
その指し示す先を地図に記入してみました。
「船尾 ・ 東京」と彫られた先には、旧道(赤道)が続いています。
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庚申道標や旧道(赤道)の位置等 |
いまでは、この旧道は途中で絶えてしまっています。
この道標が建てられた頃の様子を知るために「迅速測図」を調べました。
すると、船尾まで ずっと道をたどることができました。
また、途中で西に進んでみると、木下街道に突き当たりました。
木下街道は、当時、東京に出るには便利な道でした。
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明治初期の「迅速測図」 庚申道標から船尾まで 道標 故きは如何 古地図追う |
庚申道標の近くにも庚申塔がありました。
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コインランドリー近くの路傍に 小堂があります |
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右に見える道路は、印西市の 小林(手前側) と 印西牧の原 を結ぶ新道 |
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青面金剛像が安置されています |
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なかなか素晴らしい像容です |
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小堂の横から見たところ |