この地区の様々な史跡を訪ね、その一端を見てみましょう。
かつての「白井第二小 平塚分校」への入口標示右手が「平塚鳥見神社」 |
神社への参道 右に見える説明板については あとで取り上げます |
参道左手には 大きな石碑が建ち並んでいます |
「鳥見神社」の鳥居 |
参道左手に並ぶ石碑の多くは 、伊勢神宮での「大々御神楽奉奏記念」のものです。
「大々御神楽奉奏記念」の石碑 1 |
「大々御神楽奉奏記念」の石碑 2 |
「大々御神楽奉奏記念」の石碑 3 |
「大々御神楽奉奏記念」の石碑 4 |
境 内 正面は拝殿 |
拝 殿 普通の建物のように見えます |
拝殿の左手に回り込みました |
本 殿 拝殿とはつながっていません |
本殿正面 1 |
本殿正面 2 「鳥見神社」の神額が懸かっています |
本殿左側 1 |
本殿左側 2 |
左が本殿、右が拝殿 |
神社の入口にある説明板 |
白井市指定有形文化財(建造物)
平塚鳥見神社 本 殿 (附) 棟札
所 在 地 平塚字北口962番地
管 理 者 宗教法人鳥見神社
指定年月日 平成28年3月23日
平塚地区に所在する鳥見神社は、創建は不詳で、祭神に
拝殿の奥に木造の玉垣を廻した本殿があります。この本殿は天保5年(1834年)9月に建立されたもので、大工は葛飾郡北方村(現市川市)与右衛門と平塚村半四郎、木挽は平塚村新兵衛です。
ケヤキ材による木造の一間社流造の本殿で、屋根は銅板葺です。身舎(もや)四周に廻縁を廻し、高欄をつけます。背面柱筋には脇障子を立てます。木階は五級で登り高欄を付け、木階下には浜縁を設けます。正面柱間寸法は6尺で、市内の神社本殿の中でも大きなものです。
本殿は随所に彫刻が施されています。柱頭部には唐獅子や獏(ばく)の木鼻を付け、正面扉脇の小脇板には昇龍・降龍が、木階下羽目板には飛龍が、庇の下の幕板にも龍が彫られています。また本殿側面には雉や鳳凰が彫刻されるほか、脇障子には鶯の彫刻を嵌め込みます。このような数多くの彫刻で飾られた壮麗な本殿は、江戸時代後末期の神社建築の装飾的な特徴をよく現すものです。
平塚鳥見神社本殿は江戸時代に火事に遭い再建されたもので、天保2年(1831年)に作成された木挽任用帳や、建立時の天保5年の棟札が残されています。本神社本殿は白井市内の江戸時代後末期に建立された、彫刻で飾られた神社本殿の中でも規模の大きなものの一つであり、本社建立時の過程を追うことのできる白井の歴史上価値の高いものです。
本殿と併せて、その歴史的価値を裏付ける資料である天保5年の棟札一枚を附指定としました。
平成28年6月7日
白井市教育委員会
「新四國三十三番」とある標柱 |
白井町教育委員会発行の『白井町石造物調査報告書 第三集』(1988)に拠ると、上の標柱は「平塚 村大師」の第33番札所を示すもののようです。
先にいったら、重点的に取り上げる予定です。
拝殿の右にある「八坂神社」 |
大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』中の「永治村誌」にある「神社誌」には、境内社について以下のように書かれています(後編 P.544)。
(6) 村社 鳥見神社
平塚村 字北口にあり、饒速日命を祭る。
由緒不詳。
社殿 間口 2間半、奥行き 3間。
拝殿 間口 7間、奥行き 4間。
境内 425坪。
氏子 97戸を有す。
境内9社を祭る。即ち、
2 八坂神社 素戔嗚尊を祭る。由緒不詳。建物 間口 四尺 奥行 3尺。
3 子安神社 木花咲耶姫を祭る。由緒不詳。建物 間口 四尺 奥行 3尺。
4 歯苦山神社 祭神、由緒 不詳。建物は石宮。
5 山 神 大山祇命を祭る。由緒不詳。建物は石宮。
6 妙正大神 祭神、由緒 不詳。建物 竪 2尺 横 1尺5寸。
7 稲荷神社 稲倉魂命を祭る。由緒不詳。建物 竪 2尺 横 1尺5寸。
8 神武神社 神武帝を祭る。由緒不詳。建物 竪 8尺 横 6尺。
9 金毘羅神社 金山彦命を祭る。由緒不詳。建物 竪 3尺 横 2尺5寸。
(以上、『神社明細帳』より)
社叢林には 末社である祠が散在します |
社叢林も神域であることが分かります |
かつての「平塚分校」の方に進んでみました |
道路脇から鳥見神社が見えます |
廃校となり「しろい環境塾」が利用している かつての平塚分校 |
右端はトイレ |
「平塚分校」については、以下をご参照ください。
➜ 白井市平塚を歩く(2) 平塚延命寺の十九夜塔