2016年12月30日金曜日

白井市平塚を歩く(2) 平塚延命寺 ➀ 十九夜塔(如意輪観音像)

平塚鳥見神社のすぐ近くには、延命寺という真言宗豊山派の寺院があります。
「延命寺」という名前のお寺は、様々な宗派で そこかしこにあります。
他のお寺と混同しないよう、ここでは「平塚延命寺」とよぶことにします。
今回は、その境内にある「十九夜塔」を見てみましょう。

十九夜塔は、本堂左手の奥にあります


白い標柱が建っていますので、すぐに分かります


二体の如意輪観音像が建っています どちらも十九夜塔です

左側の十九夜塔は、白井市指定 有形民俗文化財となっています。

寛文10年(1670)造立の十九夜塔


美しい六臂ろっぴの如意輪観音像です
(「臂」は 「腕」の意)

白井町教育委員会発行の『白井町石造物調査報告書 第三集』(1988) P.127には、以下のように書かれています。

(正面)
    奉造立十九夜念佛結願
           爲二世安樂也結衆敬白

(種字「サ」: 観世音菩薩) 〔如意輪観音像〕 (六臂)


    寛文十庚戌天八月吉日
      下総國印判郡印西庄平塚村願女丗四人


元禄13年(1700)造立の十九夜塔
こちらの像には 持物じもつを手にした四臂がありません

二臂の如意輪観音像の方は、白井市指定 有形民俗文化財にはなっていませんが、六臂の如意輪観音像同様に十九夜塔です。

『白井町石造物調査報告書 第三集』 P.127には、以下のように書かれています。

(正面)
    奉造立十九夜念佛結願爲二世安樂也

(種字「サ」: 観世音菩薩) 〔如意輪観音像〕 (二臂)


    元禄十三年庚辰天十一月吉日
      印旛郡印西平塚村結衆七十四人


標柱には、白井市教育委員会により、詳しく説明が書かれています。

標柱の説明 1

白井市指定 有形民俗文化財

延命寺の十九夜塔


この十九夜塔は、安山岩製で 高さは126cmです。

中央に如意輪観音像が陽刻され、後背には年月日と願文が陰刻されます。

寛文10年(1670)に制作された本十九夜塔は、市内最古の民間信仰に基づく石造物であり、石仏としても最古のものとして、人びとの生活の推移を理解する上で重要なものです。


標柱の説明 2

この如意輪観音像は、六臂の姿で彫られています。

右手は、第一手は頬に当て、第二手は宝珠を捧げ、第三手は後方に垂らして数珠じゅずを執ります。

左手は、第一手は垂らして膝上におき(または、掌を広げて地に触れ)、第二手は蓮茎を執り、第三手は宝輪を捧げます。

きちんと六臂の姿で彫られるのは、古い十九夜塔の特徴です。

(六臂の記述順を変更しました。)


如意輪観音像 六臂の説明

写真に六臂の説明を加えてみました。

『日本石仏事典』(1975 雄山閣) P.24によると、六臂それぞれの手には以下のように名前がついているようです。

右手は、上から ➀ 思惟手、➁ 持宝手、➂ 念持手。

左手は、下から ➊ 按山手、➋ 蓮華手、➌ 宝輪手。

「如意輪観音」は、梵名「チンターマニチャクラ」。
「如意」とは「如意チンター宝珠マニ」、「輪」とは「法輪チャクラ」の略。

如意宝珠にょいほうじゅ」とは 全ての願いを叶えるもの。
右手の第二手に持っているものが「如意宝珠」(玉)であり、左手の第三手に持っているものが「宝輪」(輪)です。
宝輪は、法輪や輪宝りんぼうとも書かれます。

「宝輪」とは 元来古代インドの投擲武器であった輪(チャクラム)が転じて 煩悩を破壊する仏法の象徴となったものだといいます。

「如意輪観音」は、観音菩薩の変化身へんげしんのひとつであり、六観音の一尊。


標柱の説明 3

裏の面には、「平成24年3月27日指定   白井市教育委員会」とあります。


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