慶昌寺の所在地は、印西市萩原1242番地です。
萩原地区構造改善センターの南西 300mほどの位置にあります。
曹洞宗のお寺です。
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慶昌寺 山門
右に「龍谷山」、左に「慶昌寺」とあります |
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この寺の本尊等について書かれています
「本尊 釈迦牟尼仏 奥座本尊 弥陀三尊」とあり |
「慶昌寺」は、大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』の「六合村誌」のうち、「寺院仏堂誌」に以下のように書かれています(後編 P.391)。
(1) 慶昌寺
萩原村 字
辺田谷にあり、曹洞宗にして東祥寺末なり。
阿弥陀仏を本尊とす。
永正14年
(1517)11月、開山 大清 全真和尚 創立。
嘉永2年
(1850)10月、30代 住任山 良運和尚 再建す。
堂宇 間口 9間、奥行き 6間3尺。
庫裏 間口 6間3尺、奥行き 3間3尺。
境内 1,140坪あり。
檀徒 676人を有す。
(『寺院明細帳』より)
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本堂 全景 銀杏が美しい |
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本堂 正面 |
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天神社と大師堂がひとつになっています |
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天神社の扁額 「観音天神」とあります(神仏混淆の名前です) |
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菅原道真像 |
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弘法大師像 |
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印西大師 第57番札所の扁額 御詠歌は、本家 栄福寺(愛媛県)のもの |
「八幡」は 八幡宮 の意で、「やはた」と読むようです。
寺(慶昌寺や栄福寺)のご利益を述べている御詠歌です。
(この寺は) 現世においては 弓矢を守る八幡宮であり
来世においては 人を救う阿弥陀如来がおわすのだ
といった意味のようです。
神仏混淆であった時代を彷彿とさせます。
先に見たように、本寺では 天神社と大師堂がひとつになっています。
これも象徴的なことです。
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梵鐘 「幸運の鐘」と書かれています |
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本堂前の柿の木と銀杏 |
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本堂の左にある観音堂 「千手観世音菩薩 霊場」と書かれていました |
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田圃を挟んで 慶昌寺の反対側に見える長屋門 |
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路傍の馬頭観音 |
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印旛村当時からの表示が立っていました |
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道路脇にあった小さな池 溜池なのでしょうか |