これまで白井市の鳥見神社を見てきましたが、その最後の回です。
今回は、かつての富ヶ谷村、字 仲ノ下にある「富ヶ谷鳥見神社」を取り上げます。
本神社は、北総線 白井駅から 南南東に1.3㎞ほど進んだ位置にあります。
近くには、千葉県立白井高校があります。
所在地は、白井市復〔字仲ノ下〕674番地です。
この「鳥見神社」の読み方ですが、『しろい散策マップ(改訂版)』(白井市教育委員会 2010)の P.12には、「鳥見」に「とりみ」とルビが振ってあります。
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道路沿いに 富ヶ谷鳥見神社への入口があります |
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掲示板に「富ヶ谷」とありました |
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石段があり、上の方に鳥居が見えます |
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鳥 居 明神鳥居です |
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「鳥見神社」と神額が懸かっています |
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石 祠 2基 |
『白井町石造物調査報告書 第一集』(白井町教育委員会 1986)に拠ると、富ヶ谷鳥見神社の境内には、石祠 ・ 手水石等、10基の石造物があるそうです。
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社殿の前に 円い輪があります |
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「茅萱の輪くぐり」という説明板がありました |
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「鳥見神社再建記念」の碑 |
上の石碑の内容を 以下に書き出します。
鳥見神社再建記念
富ヶ谷区鳥見神社は 饒速日命、富美屋毘賣命、宇麻志摩遅命を祀る。
鎮座年暦は不詳。
旧社殿は慶安元年(1649)に建立されたと伝えられる。
代々に亘り 当区産土神社として崇められて参りましたが、其の尊い神様の神留まり坐す社殿も三百数十年の年月を経て老朽化も甚だしく、破損箇所も目立ち 尊厳の護持も難しい状態と成りました。
近時、改修の機運が起こり、氏子数が僅か九戸の小規模村ではありますが、よく心を合わせ協議の結果 「新造営」が決議されました。
直ちに建設委員会が構成され、氏子崇敬者からは予算を上回る奉賛金が寄せられ、起工より神霊の加護の下、恙なく立派に目出度く竣工しました。
此れを後世に伝え、向後に氏子崇敬者皆様の繁栄と輝かしい未来への大いなる祈りを込めて記念の石碑を建立します。
平成十一(1999)年 十二月吉日
饒速日命と富
(登)美屋毘賣命は夫婦であり、宇麻志摩遅命は二人の子であるとのこと。
富美屋毘賣命は、
三炊屋媛、そして
鳥見屋媛ともいわれるそうです。
「鳥見神社」の「鳥見」は、「とりみ」以外にも「とみ」と読まれます。
関連があるように思われます。
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社殿 |
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「鳥見神社」と神額が懸けられています |
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社殿側から鳥居を見たところ |
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参道(石段) |
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入口の右側の手前には 「富ヶ谷薬師堂」があります |
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左 印西大師番外の大師堂、 右 薬師堂(富ヶ谷集会所) |
神社の石段の下にある 富ヶ谷薬師堂のまわりには、石仏 ・ 庚申塔 ・ 力石等、25基の石造物があるとのことです。