本神社は、それらの寺社の北にあります。
所在地は、白井市神々廻〔字発込〕1408番地です。
『しろい散策マップ(改訂版)』(白井市教育委員会 2010)の P.24を見たところ、ルビが振ってありました。
神々廻鳥見神社の東側には、道沿いに開けた場所があります |
古い住宅地図によると、この場所は 「子供の遊び場」というようです ( 周囲に 名称の表示は見当たりませんでした ) |
南側にある「神々廻地区消防センター」の建物 |
こちらの建物には、表示が付いていませんでした |
この建物、かつては表示が付いていたのかもしれません。
2009年の『ゼンリン住宅地図 千葉県白井市』を引っ張り出して調べてみたら、「神々廻公民館 社務所」と書かれていました。
「子供の遊び場」についても同様だそうです。
では、神社の方に参りましょう。
神々廻鳥見神社 鳥居(明神鳥居) 神額には「鳥見神社」とあります |
神額の字体は、「鳥」が草書で、「見」以下は行書のようです。
書体が混在しています。
参 道 左側には大きな石碑が建っています |
「伊勢神宮 太々御神楽奉奏記念」の碑 |
石碑の背景に写り込んでいる建物は、先の『ゼンリン住宅地図』によると「神々廻出荷組合出荷場」とあります。
出羽三山講の参拝記念碑 3基ありました |
境内にある石碑の詳細については、『白井町石造物調査報告書 ― 第四集 ― 』(白井町教育委員会 1989)をご参照ください。
参道の奥には、青いトタン壁の建物が・・・ |
拝殿のようです というより集会所のよう |
拝殿の奥には本殿があります |
大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「白井村誌」には、村社 鳥見神社の一社として以下のように書かれています(後編 Pp.475~476)。
(1) 村社 鳥見神社
鎮座年歴、慶長7年(1602)。
元文4年(1739)12月23日 再建。
宝暦2年(1752)4月、拝殿建立。
明和5年(1768)12月、社殿三建。
寛政7年(1795)12月、拝所再建。
安政2年(1855)10月、氏子並びに各村に至るまで、五穀豊穣のため、神祇官 統領 伯王殿へ出願候いしところ、該官において速やかに「正一位 鳥見神社 日本武尊」の神位を許可せらる。
明治44年(1911)7月28日、許可を得て、白井村神々廻 字東発込にありし村社 八幡神社 及び 同所 字大木戸にありし村社 厳嶋神社の2社を合祀す。
社殿は、間口 1間2尺 奥行き 1間。
拝殿、間口 3間 奥行き 2間。
境内、99坪あり、氏子、70戸を有す。
一対の狛犬と本殿 |
本殿の全景 |
壁面の羽目板には彫刻がありませんが、要所要所に彫刻が見られます |
神額 「正一位 鳥見大明神」と判読できます |
本殿については、『白井市の社寺建築』(白井市教育委員会 2009)の P.25に詳しく述べられています。
「 |
本殿の右後方に2つの祠がありました |
右は「八坂神社」 |
左は「 |