「大津川中流域の自然と歴史を歩く」 散策会、 今回の記事でゴールします。
(10) 永木屋
神明社の近くに、千葉県道8号(船橋我孫子線 通称「
永木屋商店 県道8号沿いにあり、道路の反対側(写真左側)は神明社 |
「大津川をきれいにする会」のスタッフの方に、永木屋さんの裏手に案内していただきました。
この裏手は、旧道に面しており、県道8号が敷設される前までは 建物の正面側だったそうです。
1896~1909頃の周辺地図 (国土地理院) |
『今昔マップ』により配信されたものを利用
永木屋駐車場 かつては馬をつなぐ場所にもなっていたのでしょう |
なんと庭には、いまでも水が湧いています。
特別に見せていただきました。
永木屋さんの湧水 1 |
永木屋のすぐ隣には、神明社があり、沼南の森があります。
そこで蓄えられた水が湧き出しているようです。
永木屋さんの湧水 2 |
永木屋さん宅の方が、古い写真を見せてくださいました。
永木屋は、かつては旅館だったそうです 背後は いまの沼南の森 |
絵葉書にもなっていました 古い写真と同じものを用いています 左下に 「 |
今回の散策会で いちばん驚いたことです。
(11) 高柳機場
永木屋から慈本寺に行くときに大津川を渡りました。
近くには高柳機場がありました。
この「宮下」というのは、「神明社の下」という意味でしょう。
高柳機場 ポンプが2台設置されています |
千葉県手賀沼土地改良区におききしたところ、2本のパイプは、1本は 高柳・表谷津に、もう1本は 高柳・
大津川 (上流方向) 芦川橋の上から撮影 |
(12) 慈本寺
慈本寺は曹洞宗の寺院。
「藤心山 延命院 慈本寺」と号します。
慈本寺への案内板 背後に見えるのは慈本寺です |
案内板には「曹洞禅宗 慈本寺」と書かれています |
曹洞宗と法華経の関連について、以前の記事でふれたことがあります。
以下に、引用します(Pp.30~31)。
鎌倉時代、新しい宗派を開いた祖師の親鸞(1173~1262)、道元(1200~1253)、日蓮(1222~1282)などもみな、若い時代に比叡山で勉学した。
比叡山こそ新しい仏教を生んだ母胎であった。
路傍にあった花 お盆のときに仏さまをお迎えするために置くものだそうです |
慈本寺への参道 右手はお寺の駐車場です |
山 門 右には「曹洞宗 藤心山」、左には「延命院 慈本寺」とあります |
山門の右前に「不許葷酒入山門」(
曹洞宗の寺院を特徴づけるものの ひとつなのかもしれません。
詳しくは、以下をご覧ください。
慈本寺 本堂 1 堂々とした仏閣です |
慈本寺 本堂 2 大棟に「慈本寺」と棟紋が入っています |
「慈雲閣」と扁額がかかっています 左手にある本堂へと続く玄関だそうです |
慈本寺の本堂では、 毎月第四土曜日の 8:00~11:30に 坐禅会が行われているそうです。
慈本寺は、東葛印旛大師の札所にもなっています。
左から 結願記念碑(1997)、 角塔婆、 大師堂 等 |
東葛印旛大師 第9番札所の大師堂 |
大師堂に懸けられている扁額については、以下をご覧ください。
深謝いたします。
(13) 藤心陣屋跡
藤心に残っているという陣屋跡を訪ねました。
藤心陣屋跡に到着 |
「藤心陣屋跡」と彫られた大きな標石 |
いまは何も残っていません |
この地の領主だった本多氏について書かれています |
藤心陣屋は、明治2年(1869)に廃藩置県により撤去されました。
参 考 逆井・観音寺 山門 (2015.05.05 撮影) |
東葛印旛大師講の、2015年の結願寺は 観音寺でした。
この結願式に行った折には、観音寺の山門が 藤心陣屋の表門であったということを知りませんでした。
来年(2019年)の結願寺は、法林寺と決まっています。
結願式に行った折に、法林寺の脇門が見られます。
今度は、この門が 藤心陣屋の中門であったと分かっています。
楽しみが ひとつ増えました。
(14) 逆井駅前
しばらく市街地を歩いて 東武野田線の逆井駅に向かいました。
ゴールの逆井駅 東口前に到着 |
各人ひとことずつ感想を言ってから解散しました。
最後に、隅々までご配慮くださった「大津川をきれいにする会」のスタッフの皆様に、心から御礼申し上げます。
➜ 「大津川中流域の自然と歴史を歩く」 (その4) 徳本 ・ 神明社
➜ 「大津川中流域の自然と歴史を歩く」 (その1) 高柳駅とその近辺