所在地は、印西市(大字)中根888番地付近です。
この周辺は明治時代の中頃までは 中根村とよばれました。
道路のすぐそばに 観音堂へ上る道があります |
瀧水寺の薬師堂や、龍腹寺の地蔵堂は、どちらも本堂から少し離れたところに建っています。
これらと同様、 この観音堂は 少し離れたところに本堂がある福聚院のものだと思われます。
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用 |
この戸崎観音堂には 第八十五番札所の大師堂が置かれています。
また、福聚院の方にも 第十四番札所の大師堂があります。
龍腹寺の場合、本堂の近くに置かれている大師堂は なぜか番外です。
また、瀧水寺の本堂境内には 大師堂がありません。
これらと比べると、福聚院では 関連するお堂と本堂が 同等に重きを置かれているように思われます。
ここでは、福聚院とは別に 戸崎観音堂についてまとめることにしました。
戸崎観音堂の境内 左が観音堂、右が大師堂 |
戸崎観音堂 きれいなお堂です |
観音堂の階段に置かれていた供物 |
堂内の様子 厨子が安置されています |
印西大師 第八十五番札所の大師堂 |
彫刻の施された 実に立派な大師堂です |
大師堂に掲げられている扁額 |
扁額は、以下のように読めます(翻刻ではなく、文字をできるだけ元の字のままにしました)。
新四国 第八十五番
保゛んのうを むねのぢくハ(くゎ)尓て やくりをバ
修行者奈等傳 多れ可志るべし
本郷村中根 戸 崎 堂
部分的に違っていますが、本家 第八十五番札所、五剣山(ごけんざん)八栗寺(やくりじ)の御詠歌そのままです(以下)。
煩悩を 胸の智火にて 八栗をば
修行者ならで 誰か知るべき
この扁額には 「本郷村中根 戸崎堂」と書かれています。
ということは、「本郷村(ほんごうむら)」という村名が存在した明治時代中頃以前に この扁額のオリジナルが作製されているということです。
また、「福聚院」という寺の名前がなく、「戸崎堂」という観音堂の名前が書かれているということは、福聚院とは別にして この観音堂が敬(うやま)われてきたことを示しているのではないでしょうか。
観音堂の裏手にある墓地 |
観音堂の右手には急坂があり 谷津へと下りています |
お堂が高台に建っていて、その横には谷津へと下る急坂があるという布置は、瀧水寺や龍腹寺とそっくりです。
➜ 本埜の仏刹(6) 福聚院(印西市・中根)
➜ 本埜の仏刹(8) 南陽院(印西市・笠神)