2014年8月22日金曜日

本埜の仏刹(7) 戸崎観音堂(印西市・中根)

福聚院のすぐ近くには、道路を隔てて戸崎観音堂があります。
所在地は、印西市(大字)中根888番地付近です。
この周辺は明治時代の中頃までは 中根村とよばれました。

道路のすぐそばに 観音堂へ上る道があります

瀧水寺の薬師堂や、龍腹寺の地蔵堂は、どちらも本堂から少し離れたところに建っています。
これらと同様、 この観音堂は 少し離れたところに本堂がある福聚院のものだと思われます。

国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用

この戸崎観音堂には 第八十五番札所の大師堂が置かれています。
また、福聚院の方にも 第十四番札所の大師堂があります。
龍腹寺の場合、本堂の近くに置かれている大師堂は なぜか番外です。
また、瀧水寺の本堂境内には 大師堂がありません。
これらと比べると、福聚院では 関連するお堂と本堂が 同等に重きを置かれているように思われます。

ここでは、福聚院とは別に 戸崎観音堂についてまとめることにしました。

戸崎観音堂の境内 左が観音堂、右が大師堂


戸崎観音堂 きれいなお堂です


観音堂の階段に置かれていた供物


堂内の様子 厨子が安置されています


印西大師 第八十五番札所の大師堂


彫刻の施された 実に立派な大師堂です


大師堂に掲げられている扁額

扁額は、以下のように読めます(翻刻ではなく、文字をできるだけ元の字のままにしました)。

   新四国  第八十五番

   保゛んのうを むねのぢくハ(くゎ)尓て やくりをバ
   修行者奈等傳 多れ可志るべ

       本郷村中根  戸 崎 堂

部分的に違っていますが、本家 第八十五番札所、五剣山(ごけんざん)八栗寺(やくりじ)の御詠歌そのままです(以下)。

   煩悩を 胸の智火にて 八栗をば
   修行者ならで 誰か知るべき

この扁額には 「本郷村中根 戸崎堂」と書かれています。
ということは、「本郷村(ほんごうむら)」という村名が存在した明治時代中頃以前に この扁額のオリジナルが作製されているということです。
また、「福聚院」という寺の名前がなく、「戸崎堂」という観音堂の名前が書かれているということは、福聚院とは別にして この観音堂が敬(うやま)われてきたことを示しているのではないでしょうか。

観音堂の裏手にある墓地


観音堂の右手には急坂があり 谷津へと下りています

お堂が高台に建っていて、その横には谷津へと下る急坂があるという布置は、瀧水寺や龍腹寺とそっくりです。


➜  本埜の仏刹(6) 福聚院(印西市・中根)

➜  本埜の仏刹(8) 南陽院(印西市・笠神)