明治時代の中頃までは、多々羅田村、結縁寺村だった地区です。
明治22年(1889)4月1日、町村制施行により 多々羅田村、結縁寺村、戸神村、武西村、松崎村、泉新田、惣深新田、船尾村の8村が合併し「船穂村」となりました。
いまは印西市の一部ですね。
なお、「結縁寺」は 寺院の名前であるとともに、寺周辺の地区名ともなっています。
散策で訪れた場所 |
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用
➊ 千葉ニュータウン中央駅 ➜ ➋ ニュータウン大橋 ➜ ➌ 多々羅田公園 ➜
➍ 多々羅田青年館 ➜ ➎ 結縁寺 ➜ ➏ 熊野神社 ・ 入定(にゅうじょう)塚 ➜
➐ 松崎台公園 ➜ ➑ 頼政塚➜ ➒ 名馬塚➜ ➓ 県立北総花の丘公園
このコースは、今春も歩いています。
➜ 2014.03.08 早春の結縁寺周辺の谷津 (印西市)
今回は 秋らしい景色を楽しめました。
ニュータウン大橋の上からは オオバンが見えました (➋) |
多々羅田公園では イチョウが見事に黄葉しています (➌) |
ナワシログミ 枝が上へと延びています (➌) |
面白い模様が幹にある イヌエンジュ (➌) |
街路樹のモミジバフウ(アメリカフウ)の紅葉 |
参 考 モミジバフウの実は とても面白い形です |
路傍に庚申塔が並んでいました |
赤い実をいっぱいつけた クロガネモチ |
ヒメアカタテハ 成虫で越冬します |
聖徳太子を祀ったお堂があった所に 多々羅田青年館が建っています(➍) |
大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「船穂村誌」には、かつてあった太子堂について 以下のように書かれています(後編 P.459)。
(九) 太 子 堂
多々羅田村 字
聖徳太子を本尊とす。
伝えいう、昔 源平2氏 互いに武将をもって勢いを争うや、保元平治の乱に源氏大いに破れしとき、下総千葉に千葉氏ありて房総半島を領したりという。
而して、当時 千葉氏の臣に常陸の方・布川に
今に豊島家存し、宗家は代々獣医を生業とし、支家数幹あり。
堂宇、間口 4間、奥行き 4間。境内 170坪。信徒39人を有す。
以上が、聖徳太子を祀った「太子(たいし)堂」についての100年前の説明です(かなりの悪文といえます)。
布川豊島氏については、以下が参考になります。
➜ Wikipedia 「豊島氏」
ここには 弘法大師・空海を祀った「大師(だいし)堂」もあります。
なんだか紛らわしいですね。
印西大師 第六十番札所の大師堂 (➍) |
御詠歌の書かれた 大師堂の額 (➍) |
額には、以下のように書いてあります。
第六十番 石鎚山 横峯山
たてよこに みねややまべに てらたてゝ
あまねくひとを すくうものかな
おんあびら 神戸順拝会
四国の本家、第六十番札所
たて横に 峰や山辺に 寺たてて
あまねく人を 救うものかな
横峰寺の本尊は、大日如来。
真言は、「おん あびらうんけん ばざら だとばん」
額の最後に書かれている「神戸順拝会」については、読み方を含めて不明です。
落花生を干してあります 「ボッチ」というそうです |
路傍に道祖神が祀られていました |
嘉永2年(1849)と彫られています |
ところどころに 無人の野菜販売所がありました |
アキノエノコログサ 何とも秋らしい感じです |
カラスウリの実 緑から赤へと 色が変わっていく途中のようです |
美しいアオツヅラフジの実 |
立派な長屋門のお宅がありました |
➜ 2014.11.16 秋の多々羅田 ・ 結縁寺 (印西市) (その2)