2014年11月18日火曜日

2014.11.16 秋の多々羅田 ・ 結縁寺 (印西市) (その2)

前回からの続き、結縁寺コース里山散策会の後半です。

結縁寺地区へと入ったところからです。

結縁寺と蓮池


蓮池には 蓮やコウホネが育っていました


参 考   先の大地震で干上がってしまったが徐々に復活 (2014.03.07 撮影)

結縁寺については、大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「船穂村誌」に3ページの長きにわたって書かれています(後編 P.456~458)。
最初の部分は、以下のとおりです。

 第8章 寺院・仏堂誌 (5) 結縁寺
結縁寺村 字外手そとでにあり、真言宗にして 晴天山と号す。
大日如来を本尊とす。天平年間の開創とす。
いま荒廃して昔日の面影なしといえども、幽遠閑雅の一部落にして、ただ何となく、古代の歴史を語るがごとき感あるを覚ゆ。
堂宇、間口 7間、奥行き 6間。境内 745坪あり。檀徒262人を有す。
『利根川図誌』によれば、そもそも 晴天山 結縁寺は、人皇(神武天皇を初代とする代々の天皇)45代 聖武天皇の神亀年間、行基僧正の創建という。本堂、南向き 6間4面。本尊 阿弥陀仏は行基僧正の作。かたわらに金像の不動尊を安置す。その丈 2尺余り。

平成17年(2005)に再建された 結縁寺本堂 その左は庫裏


印西大師 第四十六番札所 大師堂


大師堂の扁額 浄瑠璃寺の御詠歌

四国霊場の本家、医王山 養珠院 浄瑠璃寺の御詠歌です。

  第四十六番 四国浄瑠璃寺写 結縁寺

  極楽の 浄瑠璃世界 たくらえば
  受くる苦楽は 報いならまし


結縁寺のすぐそばには 熊野神社があります。

熊野神社の鳥居

階段下には源頼政ゆかりの「入定塚」があります。
入定塚については、『千葉県印旛郡誌』の「船穂村誌」に 以下のように書かれています(後編 P.456)。

入 定 塚 (結縁寺の)本堂のそばにあり、伝うるところでは、伊勢国住人・佐藤民部という者の娘、頼政公の墓を訪ね、この場所に来たり入定すという。
石碑に 「大比丘尼 善智入定 伊勢國の住人 ☐☐☐☐娘 大永六丙戌年(1526)二月十八日  享保九(1724)」年造立と見ゆ。

源頼政の遺徳を慕い訪ねてきた 伊勢の女性が入定したと伝えられる塚

『船穂地区調査報告書 ー印西町石造物 第五集ー』(印西町教育委員会  1987)のP.273には、以下のようにあります。


熊野神社については、、『千葉県印旛郡誌』に以下のように書かれています(後編 P.453)。

 第7章 神 社 誌   (6) 村社熊野神社
結縁寺村 字北ノ内きたのうちにありて、言退男命(不明)を祭る。由緒不詳。
社殿、間口 4尺、奥行き 4尺。境内 264坪あり。氏子26戸を有す。
境内2社を祀る。即ち、
 1. 諏訪神社 武美那方命を祭る。由緒不詳。建物は石祠なり。
 2.日吉神社 大物主命を祭る。由緒不詳。建物は石祠なり。

階段の上に熊野神社があります


熊野神社の社


結縁寺地区には谷津田が広がっており、豊かな自然が残されています。
散策しながら 様々な生きものに出会いました。

ベニシジミ


コセンダングサ 種は「ひっつきむし」です


セグロセキレイ


マユミの実


クサギの実


ベニバナボロギク 美しい花です


谷津から出て、源頼政ゆかりの史跡を見ました。


頼政塚近くの路傍にあった 印西大師 番外の大師堂


頼政塚(正面) 手前右手には頼政堂、左手には大師堂があります


頼政堂の瓦にあった笹竜胆(ささりんどう)の紋 村上源氏の定紋とのこと


頼政塚敷地内にある 印西大師 番外の大師堂


「頼政塚」の近くには「名馬塚」があります。
桜の木の下で、昼なお ほの暗い場所にありますが、『千葉縣印旛郡誌』によれば、百年前からそうだったようです。

源頼政ゆかりの名馬塚 多くの馬頭観音があります

「名馬塚」については、この場所に立てられていた説明板が簡潔でわかりやすいです。

「名馬塚」の説明板 結縁寺世話人会の手になるものです


馬頭観音 1 寛保2年(1742)建立


馬頭観音 2 明和6年(1769)建立


来た道を引き返し、多々羅田公園を抜け、北総花の丘公園で解散しました。

木に留まっていたスズメの隊列 (北総花の丘公園にて)


付  記
名前のわからない草木については、私の植物の先生である S氏に教えていただきました。
いつもながらに感謝申し上げます。


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