この周辺は明治時代の中頃まで 鎌苅(かまがり)村という地区でした。
大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「宗像村誌」には、東祥寺について以下のように書かれています(後編 P.415~416)。
(8) 東 祥 寺
鎌苅村にあり、曹洞宗にして長国寺末なり。釈迦牟尼如来を本尊とす。
宗祖、道元禅師の13世法孫 開山・文和暁尚、大永元年(1521)9月創立。
明治7年(1874)10月焼失。明治8年(1875)2月仮本堂再建す。
堂宇、間口 7間 奥行き5間3尺。境内794坪あり。檀徒60戸を有す。
入口には「不許葷酒入山門」とあります |
道路に面して「不許葷酒入山門」と刻まれた
これは 「葷酒(くんしゅ) 山門に
「葷」とは、ニラ、ニンニク、ネギなどの臭気ある蔬菜類(葷(くん))や、カラシ、トウガラシなどの辛みのある刺激物(辛(しん))に、肉を含めたものであり、精力が出るといわれる食物をさしているといいます(雄山閣『日本石仏事典』)。
それらの食物や酒を、その先の修行の場に持ち込むことを禁止するという文言です。
山門に至る道 |
山門前の右側には 女人講の碑や如意輪観音像が並んでいます |
「曹洞宗 東祥禅寺」とあります 山号は「大雄山」 |
山門の左側にあった板には 意味ありげな言葉が |
この板は「木版」(もっぱん)というそうです。
曹洞宗の修行僧は、
木版には、以下のように書かれています。
白 大 衆
生死事大 (しょうじ じだい)
無常迅速 (むじょう じんそく)
各宜醒覚 (かくぎ せいかく)
慎勿放逸 (しんもつ ほういつ)
書き下すと以下のようになります。
生死のことは事大にして
無常迅速なれば
おのおの宜しく醒覚し
慎んで放逸なることなかれ
「事大」は「大事」、「醒覚」は「覚醒」と文字の順を変えれば意味が分かりやすくなります。
山門の右側にあった「夢大師」のお堂 |
山門は鐘楼を兼ねていて 2階部分に梵鐘があります |
2階の鐘楼部 中央には鐘を突く棒( |
印西大師 第四十番札所の大師堂 |
印西大師 四十番札所の扁額 |
本家 四国八十八カ所霊場の第40番、
心願や 自在の春に 花咲きて
浮世のがれて 住むや けだもの
印西大師 第九番札所の大師堂 |
印西大師 九番札所の扁額 |
本家 四国八十八カ所霊場の第9番、
大乗の
境内にある建物の案内掲示板がありました |
本 堂 「大雄山」と扁額が懸かっています |
東祥寺の南側は崖になっています |
以下の地図を見ていただくとわかるように、東祥寺は 舌状台地の根元の細い部分に建っています。
東祥寺と その周辺の地図 |
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用
東祥寺の隣には
この神社については、次回取り上げる予定です。
➜ 印旛を歩く(2) 真珠院 (印西市・
➜ 印旛を歩く(4)