2017年1月2日月曜日

白井市平塚を歩く(3) 平塚延命寺 ➁ 山門 ・ 本堂

前回、十九夜塔について見てみましたが、平塚延命寺には見るべきものが多いので何回かに分けて掲載することにします。
今回は、山門と本堂を取り上げます。

平塚本郷のメインストリート沿いに 延命寺はあります


東葛印旛大師の第84番の札所になっています


山 門 右に「真言宗 豊山派」、左に「普登山 延命寺」と刻まれています

延命寺の正式名称は「普登山蓮華院延命寺」であると、延命寺のHPに書かれています。
「普登山」の読み方をお寺におききしたら、「ふとうざん」とのことでした。


山門を入って右手は駐車場になっています


「しろい七福神」の赤い幟がずらりと並んでいました


延命寺の七福神は 大黒天のようです


立派な朱塗りの門がありました


本 堂 両脇の樹木が巨大です


本堂正面 ここにも赤い幟が立てられています


弘法大師 空海の言葉

本堂前に、弘法大師の言葉を刻んだ石碑がありました。

  虚空尽き 衆生尽き
  涅槃尽きなば
  我が願いも尽きなん

        弘法大師 空海上人 聖語

ちょっとすごい言葉ではありませんか。


西側の道路からも本堂へと続く道があります


本堂の左手奥にある 歴代住職の墓 墓塔は五輪塔

五輪塔自体が密教思想から生まれており、真言宗においては、墓塔として五輪塔を建てるのは一般的なようです。


墓の近くにあった 延命寺の由緒書き 昭和56年(1981) 設置

延命寺の由緒書きです。
かなり長文ですが、分かりやすい文章で書かれており、とても参考になりますので、以下に書き写します。


 平安の昔、寛弘2年(1005)秋9月、都より一人の旅の僧、手賀沼を望む高台に草庵を立て、農耕に励む人々の無病息災を祈念する。 この僧が延命寺の開祖、賢澄上人である。
 後に、この草庵が本郷下に寺として建替えられたのは いつの頃か定かではない。 下って寛永元年(1624)、平塚村の大火に遇い焼失する。

 萬治3年(1660)、井上筑後守政清が平塚村の領主になるや、宗教に造詣の深い祖父 筑後守政重の影響もあってか、名主 山﨑善四郎に命じ、自らも大檀那となり、寛文8年(1668)6月、現在地に観音堂を建立する。 続いて寛文10年(1670)本堂再建に着工するも完成を見ず。 延宝3年(1675)、山門完成の年に48才で殁す。 本堂再建工事は引き継がれ、16年の歳月を要し、貞享元年(1684)に完成する。

 三代 筑後守政蔽(まさあきら)は、貞享元年8月始めて所領に行くの暇を賜り、領地高岡(香取郡下総町)へ向う。 途次、父 筑後守政清の建立せし寺に立ち寄り、真言宗の法流のなきを知り、元禄元年(1688)、真言宗の法流を持つ祐譽上人を迎え、法流開祖となし、普登山蓮華院延命寺と号し、両界曼荼羅を贈る。

 元明3年(1783)には、六代 筑後守正國が大檀那となり、鐘楼堂が建立され、平塚村の庚申講中が梵鐘を寄進している。 以後、幕末まで井上家の庇護を受け、歴代住職は寺域の一角に手厚く葬られている。

 明治維新の後、廃仏毀釈により寺領は境内地を除き官有地となり、世は移り変わり廃寺への一途をたどる。

 明治39年(1906)、茨城県徳満寺より二十三世住職に俊彰師を迎える。 師は、お盆に新霊者の供養のために花料と称する供養金の寄進をお願いし、寺門の復興を図る。 また、官有地となりし山林(6,151平方メートル)を、福田夘右衛門(治郎兵衛)、山本乕松(とらまつ)(茂右衛門)両氏の協力を得て無償で払い下げを受ける。 この地が現在の白井霊園一区・二区の用地となり、墓地として利用される。
 俊彰師は、昭和14年(1939)、徳満寺住職 俊溪僧正の遷化により、乞われて徳満寺二十六世住職となり、延命寺を去る。

 第二次世界大戦起こるや、檀家では 戦闘に参加せし有為の人多く殁し、寺宝である梵鐘も献納され、終戦を迎える。 昭和21年(1946)、自作農特別措置法によって、田畑(約6,000平方メートル)は解放となり、寺有財産は先に払い下げを受けし山林のみとなる。

 昭和25年(1950)、成毛寅治(九郎右衛門)、船田八郎(八郎右衛門)の両氏は、俊彰師遺弟を二十五世住職として迎え、寺門の隆盛を図る。 昭和30年(1955)には、観音堂の屋根を改修。 千葉ニュータウンの計画が発表されるや、その地に移り住む人々の永遠に眠る地、霊園の開設の必要性を考え、昭和44年(1969)、白井霊園を造成。 永代使用料の奉納をお願いし、本堂の屋根を改修。 続いて、宝暦10年(1760)に建てられし庫裏を建替え。 さらに白井霊園二区を造成する。 三区は、海老原恒良氏(平兵衛)が中心となり進めるも、松戸市の要望により同市に移管する。 昭和55年(1980)、松戸市は公園緑地部に白井聖地公園建設事務所を設け、この事業に当る。

 ここに弘法大師千百五十年御遠忌、白井霊園開設十周年を記念し、裏面に刻まれ氏方々の浄財をもって、客殿・寺務所・休憩所を造る。 昭和五十六年 春彼岸、落慶法要を厳修する。

 開基より約千年、この間 延命寺を支えし多くの方々に合唱し、これを刻む

普賢山二十五世 正三


➜  白井市平塚を歩く(2) 平塚延命寺 ➀ 十九夜塔

➜  白井市平塚を歩く(4) 平塚延命寺 ➂ 観音堂 ・ 鐘楼