西門を入って左側に、大きな出羽三山講碑が並んでいます |
3回目でふれたように、延命寺では 「火伏せの札」が本堂から発見されています。
それには萬治3年(1660)の墨書銘があり、本堂建立の年代を知る手がかりになっています。
「剣梵天」は、出羽三山信仰において用いられるものだそうです。
延命寺と出羽三山信仰の密接な関係がうかがわれます。
この地区においても庚申信仰が深く根ざしていたことが分かります。
道路際に並ぶ庚申塔群 |
出羽三山信仰では 東北地方の山形県にある出羽三山へと出かけてもいきますが、庚申信仰では地区内で会食談義を行って夜明かしをするというのが専らです。
多様な形の庚申塔があります |
青面金剛像の彫られた庚申塔 宝暦6年(1756)11月 造立 |
種字「ウーン」(青面金剛)の刻された庚申塔 享和元年(1801)11月 造立 |
種字だけが刻されている庚申塔は珍しいようです。
「青面金剛王」と文字が刻された庚申塔 文化12年(1815) 造立 この塔は 道標を兼ねています |
以下は 庚申塔ではないものです。
馬頭観音塔 天明3年(1783)3月 造立 大師堂の前に建っていました |
境内には、十九夜塔や金剛界大日如来など、様々な石塔が並んでいます |
「師表 平井先生之碑」 大正3年(1914) 建立 とても大きな石碑です |
お寺におききしたら、「平井先生」とは 平塚分校のかつての先生であり、師を慕って教え子たちが この碑を建てたものだそうです。
手水鉢にも歌碑が添えられていました |
石碑を見て、ひとは何かをおもいます。
記事内で述べてきたように、本寺には新しい石碑が建てられてきました。
これは今の世だからこそ、大きな意味のあることなのではないでしょうか。
延命寺について これまで5回にわたって見てきましたが、今回で完結です。
➜ 白井市平塚を歩く(5) 平塚延命寺 ➃ 大師堂