これらは、山門を入り本堂に向かって真っ直ぐに進むと、その途中の左右に配置されていますが、境内西側に沿っている道路から入るとすぐの場所にあります。
「ナッシー号」旧平塚分校入口バス停のそばです |
左は本堂、右は観音堂です |
観音堂の説明書き |
千葉県指定有形文化財(建造物)
延命寺 観音堂
所 在 地 平塚939番地
管 理 者 宗教法人 延命寺
指定年月日 平成14年3月29日
延命寺は真言宗豊山派の寺院で、寺伝によると寛弘2年(1005年)の開基とされる。その後幾度か寺地が移動し、元和元年(1602年)に平塚村の大火で焼失した後、万治3年(1660年)に現在地に本堂が再建されたことが火伏せの札の発見により確認された。
また、平成14年12月には第二次大戦で供出した梵鐘が新たに鋳造され、鐘楼も再建された。
観音堂の構造は、方三間堂と呼ばれる形式であるが、全体に木割が細いことや唐様三手先の組物を巧みに利用するなど、同時期の千葉県内の方三間堂にはみられない特徴を有し、棟札に記載された金沢の大工の手による建築であることを裏付けている。また、屋根は入母屋づくりで、もとは茅葺きであったが、昭和30年に鉄板葺きに、昭和57年には銅板葺きに改められるとともに、建具や縁回りの改修が行われた。
本観音堂は、禅宗様式をとる古建築の作例として、また、他国の大工が建てた遺例として、学術的価値が高い建造物である。
平成15年1月31日
白井市教育委員会
以下が参考になります。
➜ 千葉県教育委員会 県指定有形文化財(建造物) 「延命寺観音堂」
道路沿いに庚申塔が並び建っています 後ろに見えるのが観音堂 |
観音堂 |
観音堂 正面 |
ここにも説明書きがありました |
千葉県指定有形文化財(建造物)
延命寺 観音堂
指定年月日 平成14年3月29日白井市指定有形民俗文化財
延命寺 の十九夜塔
指定年月日 平成24年3月27日
延命寺 の火伏 せの札
指定年月日 平成25年3月26日所 在 地 平塚字寺向939番地
管 理 者 宗教法人 延命寺
普登山蓮華院延命寺は真言宗豊山派に属する寛弘2年(1005)開基と伝わる古刹です。
現在地に移転したのは江戸時代前期で、本堂からは萬治3年(1660)の墨書銘を持つ市指定文化財「延命寺の火伏せの札」(原則非公開)が発見されています。この木札は剣梵天と呼ばれ、出羽三山信仰で用いられるものです。本札は延命寺本堂建立の年代を示す貴重な資料であり、当市の三山信仰を示す最古例であるとともに、東葛・印旛地方でも最古のお札として重要なものです。
その後、境内諸堂が整備され、中でも貴重なのは石川県金沢の大工の手により寛文8年(1668)に完成した「延命寺観音堂」です。主要部がよく残されており、県内の他の三間堂とは様式手法・意匠が異なり禅宗様の要素が濃い点が特徴で、県指定文化財に指定されています。
境内本堂脇には市指定文化財「延命寺の十九夜塔」があります。六臂の姿の如意輪観音像が陽刻された本十九夜塔は寛文10年(1670)に制作された市内最古の民問信仰に基づく石造物として重要なものです。
平成25年8月23日
白井市教育委員会
鐘 楼 梵鐘が新たに鋳造された折に再建 |
梵 鐘 元の鐘は戦時に供出 現在の鐘は 平成14年(2002)に新たに鋳造 |
梵鐘についての石碑 梵鐘の図柄「二都花宴図」の説明があります |
梵鐘の図柄は、田村能里子氏の手によるものであると刻されています。
鐘楼のそばに 句碑が建っていました |
明六つの
鐘じょうじょうと
夏をつげ
藍青
なかなか佳い句です。
建って間もない句碑であるようです |
延命寺には、いまも こうした新しい石碑が建てられているようで、喜ばしいことだと思いました。
➜ 白井市平塚を歩く(3) 平塚延命寺 ➁ 山門 ・ 本堂
➜ 白井市平塚を歩く(5) 平塚延命寺 ➃ 大師堂