遺跡の所在地は、鎌ケ谷市中沢1307番地です。
2017年4月22日(土)には、現地説明会が 午前と午後の2度行われています。
・ 午前の説明会 10:30 ~ 11:45
・ 午後の説明会 12:30 ~ 14:45
現地説明会のことは後で知ったため、残念ながら参加できませんでした。
後日、郷土資料館のご厚意で「一本松遺跡現地説明会資料」を頂くことができました。
市域における 一本松遺跡の位置 (「現地説明会資料」より) 河川や公園等の名称は、元の図に書き加えたものです |
一本松遺跡 全3回の調査範囲 (「現地説明会資料」より) 矢印とゴシック体の文字は、元の図に書き加えたものです |
一本松遺跡は、根郷川へと流入する猿根支谷上流の左岸、標高26mほどの台地上にあります。
猿根支谷は比高で8m低い位置にあり、現在も湧水が流れています。
一本松遺跡の発掘は、過去に2度行われています。
第1次調査
昭和56年(1981)の1~2月に行われ、以下のものが見つかっています。
(調査範囲は上図参照)
・ 古墳時代前期(1700年前)の住居跡 4軒
・ 若干の縄文土器
第2次調査
平成7年(1995)の秋に行われ、以下のものが発見されています。
(調査範囲は上図参照)
・ 縄文時代後期前葉(約3500年前)の住居跡 7軒
・ 貝ブロック(ハマグリ、アサリ、イボキサゴなど) 6カ所
・ 貯蔵用などの土坑 25基
・ 炉跡 4カ所
・ 数多くの縄文土器(復元できたものを含む)
・ 獣骨
・ 古墳時代前期の住居跡 2軒
平成10年(1998)3月14日から5月17日にかけて 郷土資料館で企画展が開催されています。
下記の資料は、その折に作製された図録です。
先ほどの前2回の調査についての記述は、この資料に拠りました。
鎌ケ谷市郷土資料館図録 『一本松遺跡展』 表紙 この図録は 郷土資料館で販売しています(400円) |
現地説明会から一週間ほど経った後、遺跡を見にいきました。
梨畑や畑の中の道を行くと、傍らに見えてきます |
発掘された状態が残っていました 調査が終了したので 埋め戻されます |
隣の畑で作業をしていた方から いろいろと教えていただきました。
この遺跡の近所に住まわれており、現地説明会については自治会の回覧板で知らされ、当日も参加されたそうです。
発掘前は畑だったそうです 埋め戻された後は 梨畑になるとのこと |
遺跡の隣は畑です ここにも遺跡が眠っているのでしょう |
発掘場所にあった畑を借りていた人の代替の畑が道路の反対側にあります |
今回は、下図の範囲(約6,000m² = 約6反)を対象に調査が実施されました。
以下のようなものが発見されています。
・ 縄文時代後期前葉(4,000年前頃)の住居跡8軒、多数の土坑
住居跡のうち3軒は、「柄鏡形住居」とよばれる西関東から伝播した形
・ 古墳時代前期(3世紀)の住居跡6軒
また、縄文時代の住居跡や土坑内からは以下のものが見つかっています。
・ 海の貝(ハマグリやハイガイなど)の貝層
・ 動物の骨(シカなど)
今回の調査範囲の全体図 (「現地説明会資料」より) 写真との整合性をとるため 図の上下を逆さまにしてあります |
遺跡内には入れないので、畑の横から写真を撮りました。
遺跡の東端付近(入口付近) |
市内で初めて見つかった 「 |
古墳時代の住居跡 |
奥の方から入口方向を望んだ景観 |
遺跡の西端(奥の部分) |
発掘で剥ぎ取られた表土の山 |
表土の背後は猿根支谷 水面は比高で8m下 |
追 記 2017.05.09
後日、猿根支谷の
猿根支谷の谷頭部 いまも水が湧いています |
谷頭部から少し下った場所 けっこうな水量です |
猿根支谷の下流部 字猿根から見晴らした景観 |
追 記 2017.05.25
「ちいき新聞」(鎌ケ谷版)に 「一本松遺跡」に関する記事が載っていました。
現地説明会の様子がよく分かるとともに、今後の予定についてもふれており、ぜひ ご一読いただきたい記事です。
「ちいき新聞」 2017年5月26日号 1面より |
追 記 2017.06.01
再度「現地説明会」が行われるそうです。
嬉しいことです、
実施日は、2017年6月24日(土)。
11:00~ 文化・スポーツ課の担当職員による説明
11:30~ 自由見学
13:30 終了
詳細は、「広報かまがや」 2017年6月15日号に掲載されるとのことです。
追 記 2017.06.15
「広報かまがや」 2017.06.15号掲載 |