今回から、上記2つの散策コースには含まれなかった野馬土手の跡を訪ねてみたいと思います。
はじめに、道野辺八幡神社内の林の中に残存している野馬除土手をご紹介します。
道野辺八幡神社については、以前このブログで取り上げましたので、以下をご参照ください。
➜ 鎌ケ谷の神社(1) 道野辺八幡神社(その1)
さて、この野馬除土手は、囃子水を源流とする中沢川と、貝柄山(公園のある場所)を源流とする根郷川に挟まれた丘陵部の、もっとも狭い部分に築かれていました。
明治13年(1880年)に発行された迅速測図を見ると、そのことがよくわかります。
「迅速測図 鎌箇谷駅近傍村落」の一部 画像中央付近が道野辺八幡神社 |
また、この土手は二重土手であったことが、地図上の「ロ」という書き込みから知ることができます。
迅速測図は実に周到で、野馬土手が何重であったのかを 地図上に「イ・ロ・ハ」の文字で記しています。
特に「ロ」の字体は、地図上の他の情報と区別させるために特徴的な形にしてあり、すぐに見分けがつくようになっています。
「迅速測図」の注記にある野馬土手の形状 |
40年近く前に撮られた航空写真によると、今よりも野馬土手が残っていたことが見て取れます。
以下の画像は、その航空写真に野馬土手の現状等を書き加えたものです。
1974~78年の間に撮影された航空写真に現在の情報を加えたもの |
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用
では、現在の野馬除土手の跡を見ていきましょう。
「鎌ケ谷市保全林指定標識」の右に林に入る道があります |
境内から土手に続く林の中の道 |
土手の堀が見えてきます |
野馬除土手はかなりの高さで残っています 土手上から堀底まで3m程度 |
土手も堀もよく残存しています |
堀の向こう側に見えるのは道野辺保育園の園庭 |
粟野保育園近くから先の土手は消滅しており、民家が続いています |
土手の一方の端は切り立った崖に至って終わります 左は神社の階段 |
この野馬土手は、神社の境内にあったからこそ残存したものだといってよいでしょう。