2018年9月4日火曜日

しろい散歩 (8) 大日神社 (白井市・根)

白井市の根で脇道に入ったところ、道路沿いに神社がありました。
以前、白井市郷土資料館の「しろい社寺めぐり」で訪ねたことのある大日神社でした。
大日神社の所在地は、白井市根(字 小山)1388番地です。

この神社は「おおひ」神社とも 「だいにち」神社とも よばれているようです。

大日神社の参道入口は 道路に面しています


大日神社の由緒や 合祀されている境内社等が書かれています

この由緒書きを読むと、本神社は 延宝5年(1677)に 七次村の村社として創建されたようです。
その後、根村の村社となったあと、大正3年(1913)には 白井村発足とともに 白井村の村社になったとあります。


大日神社 参 道


とても珍しい狛犬


大日神社 鳥居 (明神鳥居) 神額には「大日神社」とあります


大日神社 拝殿


拝殿の左手


本 殿 覆屋が掛けられています


本殿の右手 広々していて 右隣に天神八幡神社が鎮座しています
手前は「天神社」、小さな社は「八幡社」でしょうか?


天神八幡神社の後ろには 出羽三山塔などが並んでいました


大日神社の拝殿の前に戻りました。

大日神社拝殿左手前にある境内社

大日神社の左手前には集会所がありました。

標札には 「白井町  第五 七次青年館」と書かれているようです

標札は、部分的にしか読み取れないので、『ゼンリン住宅地図  千葉県・白井市』(2009) P.52 を参考にしました。


天神八幡神社は、ひときわ大きな境内社です。
先ほど大日神社本殿のすぐ右手にあることを確認しましたが、鳥居のある方から見てみましょう。

天神八幡神社


天神八幡神社 と 「名馬生食」 の説明書き

この由緒書きを見ると、「八幡神社」は 「生食」を祭神として祀るものとして創建。
延宝5年(1677)に七次村・字 八幡に移されたときに 「天神社」と合祀され「天神八幡神社」となったとあります。
この延宝5年というのは、大日神社が創建された年と同じです。
その後、大正2年(1913)に大日神社に合祀され、現在地(字 小山)に移されています。


鳥居の神額には 「天神/八幡 社」と併記


天神八幡神社 社 殿

天神八幡神社の鳥居の前方、道路に面したところに 聖観音像が彫られた二十三夜塔がありました。

二十三夜塔 明和9年(1772)造立
種字「」 と しょう観音像


天神八幡神社の右手には道路があり、その向こうには 長楽寺があります。

長楽寺は、七次地区の菩提寺であり、「七寳山灌頂院」と号する寺院です。

長楽寺 鐘 楼 大きな梵鐘です


長楽寺  山 門 右側の柱には 「天台宗」と彫られています


長楽寺  参 道 「しろい七福神」として「えびす」を祀っています


長楽寺 本 堂


「えびす」を祀ってある小祠

白井市長楽寺の山号は「七寳山」です。
小祠の前に立てられた幟をよく見てください。
「七寳山 長樂寺」となっています。

「六所山」としているサイトが いくつか見受けられますが、この山号は 日野市長楽寺 のものです。
寺号と山号が そっくり同じであるわけがありません。
ネットの情報は、正しくなくても広範に流布されてしまう傾向があるので、鵜呑みにはできません。
信頼できる情報をもとにして 確認することが必須です。


恵比寿神の像 「えびす」は日本古来の神

神社と寺院が隣り合っているのは偶然ではないでしょう。

正木晃『マンダラと生きる』 P.130には、以下のように書かれています。

貴族の多くは、祖先を祀る氏神と 一族の繁栄や供養を祈願する氏寺という、二つの宗教施設をもつことになった・・・

そして、神と仏を両立させての信仰は、広く民衆へと受け容れられていったのではないかと思われます。

寺院と神社が接している形態には、以下のような場合があります (主に寺院の名前だけを載せます)

➀ 寺院の境内に神社がある場合 (瀧水寺松虫(松虫姫神社) など)
➁ 寺院の山門のそばに神社がある場合 (松虫(六所神社)東祥寺 など)
➂ 隣り合っている場合 (今回見た長楽寺、真珠院、 金山・圓林寺 など)
➃ 近くに位置している場合 (平塚・延命寺 など)


長楽寺については、以下にも若干の写真を載せておりますで、ご覧ください。

➜  「しろい社寺めぐり」 (その1)


長楽寺の参道の隣には、大きな梨の集荷場がありました。

白井市梨業組合 第二共撰場