2018年1月11日木曜日

沼南散策(6) 圓林寺えんりん じ (柏市・金山かねやま

圓林寺は、金山鳥見神社の隣にあります。

所在地は、柏市金山かねやま〔字根古ねこ〕492番地です。

切り通しの道に面して 石段があります


石段の上に 山門があります


山門の扁額には「愛宕山」とあります

「愛宕山」という山号は、愛宕神社から取られたそうです。
詳しくは、後述する圓林寺の由緒を見てください。

本 堂 立派な建物です


本 堂 向かって左手から見たところ


本堂の左手にあるのは「金山区民会館」 まるで庫裏のようです


本堂建替時の石碑

上の石碑には、この寺の由緒等が書かれていて貴重です。
以下に、その文面を書き出します。

天台宗 愛宕山 金蔵院 圓林寺


 当山は、沼南町金山 字根古492番地にあり、阿弥陀如来を本尊とする天台宗の寺院であるが、創建・由緒は不詳。
 しかしながら、寺域付近の地形から推察すれば、中世期前、千葉氏一族の金山砦の一角に当寺が存在するところから、度々の兵乱によって堂宇・古記録等の一切を焼失。 その後も火災により江戸中期に仮本堂を建立した。 当山開創は中世前期と推定される。

 山号「愛宕山」は、江戸期に地区内の愛宕神社祭神を神仏習合思想によって合祀されたことが因(もと)となって称された。
 愛宕山とは、江戸芝の愛宕山に徳川家康が勝軍地蔵を安置し、愛宕大権現として 武人は武運と戦勝を 庶民は竈神として火防の祈願をした。 当区愛宕神社は江戸より勧請と推測される。

 本堂は、江戸中期に民家を移築し本堂に改築したものと思われるが、堂内内陣の欄間は鳳凰と孔雀の精巧な彫刻が施され、裏に「宝暦7年12月大吉日 現住 惠海代(世代不詳)尾州住人の作(あるいは修復)」と読み取れる。
 また、山門も江戸中期の作で、総欅造り・両袖付き・天井張り。 昭和58年(1983)7月の降電・竜巻により倒壊したが、住民の協力によって復元した。
 本堂右手高台に釈迦堂跡がある。 本尊・釈迦如来像は本堂内に合祀、現存している。

 従来の本堂は仮堂のため老朽化はげしく、維持困難となり、檀徒相集まり先代住職・叡信ともども協議の結果、新築を決議した。
 しかし、無禄寺院のため、費用一切を檀徒に委ねることとなった。
 檀徒は、金山区 41名、今井区 20名によって、浄財及び用材として地区内の欅の殆どを寄進された。
 加えて発願から落成までの5年有余、その間の労力奉仕等、物心両面の協力を得て完成したのである。

 時あたかも伝教大師が比叡山開創千二百年に発願。宗祖大師の「忘己利他」の精神に則り、檀徒一丸となり、この大業を円成したものである。
 ここに檀徒各位の功績を明記し、後世に伝えんとす。

   平成3年(1991)辛未かのとひつじ歳 3月31大吉日
                圓林寺第47世 眞良撰文


天台宗の開祖 伝教大師・最澄像


境内には小堂がいくつかあります。

子安観音堂


弁天堂 石祠が祀られています


東葛印旛大師 第5番・第35番の大師堂


2体の弘法大師・空海像


本家第5番札所 無尽山地蔵寺の御詠歌

六道の
能化の地蔵
大菩薩
導き給え
此の世 後の世


本家第35番札所 医王山清瀧寺の御詠歌

澄む水を
汲めば心の
きよたきじ
波の花散る
岩の羽衣


本堂の右手に小高くなった場所があります かつて釈迦堂がありました


左手には、多くの石塔が建ち並んでいます


右手には「南無大師遍照金剛」塔 弘法大師は真言宗の開祖 (本寺は天台宗)

小高くなった場所に上ってみました。

馬頭観音だけがありました


木の間から 下界が見えます

圓林寺の南は 切り立った崖になっており、下には水田が広がっています。
中央を金山落かなやまおとしが流れており、その対岸は白井市の富塚です。


境内に接して、柏市消防団の建物がありました