切り通しの道に面して 石段があります |
石段の上に 山門があります |
山門の扁額には「愛宕山」とあります |
「愛宕山」という山号は、愛宕神社から取られたそうです。
詳しくは、後述する圓林寺の由緒を見てください。
本 堂 立派な建物です |
本 堂 向かって左手から見たところ |
本堂の左手にあるのは「金山区民会館」 まるで庫裏のようです |
本堂建替時の石碑 |
上の石碑には、この寺の由緒等が書かれていて貴重です。
以下に、その文面を書き出します。
天台宗 愛宕山 金蔵院 圓林寺
当山は、沼南町金山 字根古492番地にあり、阿弥陀如来を本尊とする天台宗の寺院であるが、創建・由緒は不詳。
しかしながら、寺域付近の地形から推察すれば、中世期前、千葉氏一族の金山砦の一角に当寺が存在するところから、度々の兵乱によって堂宇・古記録等の一切を焼失。 その後も火災により江戸中期に仮本堂を建立した。 当山開創は中世前期と推定される。
愛宕山とは、江戸芝の愛宕山に徳川家康が勝軍地蔵を安置し、愛宕大権現として 武人は武運と戦勝を 庶民は竈神として火防の祈願をした。 当区愛宕神社は江戸より勧請と推測される。
また、山門も江戸中期の作で、総欅造り・両袖付き・天井張り。 昭和58年(1983)7月の降電・竜巻により倒壊したが、住民の協力によって復元した。
本堂右手高台に釈迦堂跡がある。 本尊・釈迦如来像は本堂内に合祀、現存している。
しかし、無禄寺院のため、費用一切を檀徒に委ねることとなった。
檀徒は、金山区 41名、今井区 20名によって、浄財及び用材として地区内の欅の殆どを寄進された。
加えて発願から落成までの5年有余、その間の労力奉仕等、物心両面の協力を得て完成したのである。
ここに檀徒各位の功績を明記し、後世に伝えんとす。
圓林寺第47世 眞良撰文
天台宗の開祖 伝教大師・最澄像 |
境内には小堂がいくつかあります。
子安観音堂 |
弁天堂 石祠が祀られています |
東葛印旛大師 第5番・第35番の大師堂 |
2体の弘法大師・空海像 |
本家第5番札所 無尽山地蔵寺の御詠歌 |
六道の
能化の地蔵
大菩薩
導き給え
此の世 後の世
本家第35番札所 医王山清瀧寺の御詠歌 |
澄む水を
汲めば心の
きよたきじ
波の花散る
岩の羽衣
本堂の右手に小高くなった場所があります かつて釈迦堂がありました |
左手には、多くの石塔が建ち並んでいます |
右手には「南無大師遍照金剛」塔 弘法大師は真言宗の開祖 (本寺は天台宗) |
小高くなった場所に上ってみました。
馬頭観音だけがありました |
木の間から 下界が見えます |
圓林寺の南は 切り立った崖になっており、下には水田が広がっています。
中央を
境内に接して、柏市消防団の建物がありました |