(Ⅰ)
柏市立手賀中学校の東隣に「
所在地は、柏市柳戸〔字塙〕675番地の1です。
「柳戸塙子供の遊び場」は、千葉県道282号・柏印西線沿いにあります |
公園の前には 表示板が立っています |
「柳戸塙子供の遊び場」と書かれた表示板 |
公園の名前に「塙」とついていますが、『角川日本地名大辞典 12 千葉県』で調べてみると、これは大字柳戸の小字名だと分かりました。
(Ⅱ)
いまは公園となっている この場所には、かつて村役場が建っていました。
かつての手賀村役場 『沼南風土記』(沼南町役場 1981) P.60より |
手賀村と風早村が合併して 沼南村となったのは、昭和30年(1955)のこと。
昭和39年(1964)には、町政が施行され沼南町になります。
旧沼南町役場 昭和49年(1974)撮影 『沼南町史(一)』(沼南町役場 1979)より |
上の写真と一緒に撮られたと思われる写真が 柏市のホームページに掲載されています。
「(昭和49年(1974)頃)」と説明が付けられていますので、その頃の写真なのでしょう。
大島田の新庁舎(第1庁舎)が完成するのは昭和41年(1966)。
沼南町役場 新庁舎(第1庁舎) 『沼南町史(一)』(沼南町役場 1979)より |
第1庁舎は、昭和59年(1984)と平成19年(2007)に 改修工事が行われているようです。
大島田の町役場は、平成58年(1983)に第2庁舎(地上6階・地下1階)が増築されています。
沼南町役場 新庁舎 左 第2庁舎、右 第1庁舎 沼南町合併記念誌『沼南町のあゆみ』(沼南町役場 2005)より |
沼南町は 平成17年(2005)に柏市へ編入され、現在に至っています。
かつての沼南町役場の新庁舎は、いまでは柏市の沼南庁舎となっています。
(Ⅲ)
さて、現在の景色に戻りましょう。
さきほどの手賀村役場の写真には、「柳戸」バス停が写っていました。
いまでは役場の建物はなくなってしまいましたが、バス停は その位置をほとんど変えずに立っています。
「柳戸」バス停 ( |
公園の隣にある商店で、ご主人からいろいろと お話をうかがいました。
役場の庁舎は、この公園の狭い敷地内に建っていたそうです。
役場あと |
ご主人のお話では、庁舎の右隣には 警察署が置かれていたそうです。
千葉県警察の「警察署マップ」 を見ると、いまは柏市・手賀の西端に「柏警察署手賀駐在所」があります。
柳戸には、「柏市沼南消防署手賀分署」が置かれています。
公園の片隅に 手賀村の道路元標が残されていました。
「手賀村道路元標」 |
「道路元標」とは、道路の起点・終点や経過地を標示するための標識だそうです。
旧道路法(1919)により、各市町村に1個設置されていたとのこと。
村役場があり、道路元標が置かれていたことから、柳戸が手賀村の中心であったことがよく分かります。
公園の西側、手賀中学校との間には 空き地があります。
商店のご主人からうかがったとろでは、かつては低い場所だったとのこと。
(明治時代の「迅速測図」をよく見ると、落ち窪んでいたことが分かります。)
ここには手賀農協があったそうです(現在は東に400m行った場所にあります)。
その後、盛り土がされて 公園と同じ高さになったということでした。
(Ⅳ)
道路の反対側には、柏駅行きのバス停があります。
「柳戸」バス停 (柏駅方面) |
バス停の横には 自動販売機が置かれてました |
自動販売機は、飲み物以外にもお菓子が買えるようになっていました。
珍しいですね。
自動販売機器の背後は、切り立った崖になっていて、古くは
約千年前の「香取の海」 吉田東伍『利根治水論考』(日本歴史地理学会 1910)の付図を参照 |
川の対岸は、白井市の名内や今井です。
白井市・名内側がほぼ平坦なのと比べると、柏市・柳戸側が急峻なのは、大昔に海食により浸食されたためでしょうか。
鎌倉期は柳渡村。
江戸期は上柳戸村・下柳戸村。
明治7年(1874)に上下柳戸村が一村となる。
「やな(斜面)・と(処)」で傾斜地という意味。
干拓が進む前、旧手賀村の地域は 手賀沼に向かって半島状に突き出していました。
かつては、この地域が「てがのしま」(『利根川図志』には「手賀島」とあります)とよばれていたことを思い出しました。
かつての手賀沼とその周辺 明治時代はじめの「迅速測図」より |