2018年1月13日土曜日

千葉県北西部の鳥見神社 (11) <印西市・本埜 下井しも い 鳥見とみ神社>

鳥見神社シリーズの後半に入りました。
今回から印西市内の鳥見神社を見ていきます。
はじめに印西市(旧本埜もと の 村)にある「下井鳥見神社」を取り上げます。

大正2年(1913)、本郷村と埜原やわら村が合併し、本埜村が発足しています。
これに先立つ 明治22年(1889)、 町村制施行に伴い、17の新田村が合併して埜原村が発足しています。

この神社については、大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』の「埜原村誌」に、「その他の神社」のひとつとして P.642に 以下のように載っています。

・ 社 名 鳥見神社
・ 社 格 村格 (? 村社に準ずる格の意か)
・ 所在地 長門屋なが と や 土手どてどおり
・ 祭 神 面足尊おもだるのみこと

・ 社 殿 間口 1間、奥行き 1間
・ 境 内 10坪

これを見ると、所在地が長門屋になっています。
しかし、現在の所在地は、印西市笠神かさがみであるようです。
地図を詳細に見ると、この周辺は土地が複雑に入り組んでいることが分かります。
本神社のすぐ南側は下井の飛地となっており、住所も印西市下井126番地となっています。
また、本神社は千葉県道12号・鎌ケ谷本埜線沿いにありますが、この道路の反対側は長門屋です。

なお、本 下井〔長門屋〕鳥見神社、印西市(本埜地区)の萩埜鳥見・長柄神社、白井市・小名内鳥見神社の計3社は、いわゆる「鳥見十八社」には含まれません。

下井鳥見神社は、県道沿いにあります


道路の反対側は 遠くまで見はるかす水田です


道路脇に見える下井鳥見神社


下井鳥見神社 全景



鳥居と本殿 鳥居は鹿島鳥居


「下井鳥見神社の由来」が刻された石碑

分かりやすく由来が書かれていますので、以下に書き出します。

下井鳥見神社再建記念碑


  下井鳥見神社の由来

 印西地方には、祭神、饒速日命にぎはやひのみことを奉祀する鳥見神社が、数多く鎮座する。
 当社の由来は詳らかでないが、寛文年間(1661年代)に、埜原村長屋 字土手通りに、新田開発に伴って勧請されたという。
 爾来、家業繁栄、家内安全の守護神として、広く崇敬されてきました。

 明治16年(1883)、本殿建替えの棟札が現存するが、信仰心厚い氏子諸氏により昭和に入ってからも修理、改修が行われてきました。
 平成13年(2001)1月、再建の話がまとまり、本殿造替となりました。
 茲に、氏子各位のご寄進、ご奉賛に衷心より感謝申しあげますと共に 先人を偲び、次の世代に継承されることを願い、茲に再建するものである。

   平成17年(2005)9月吉日

  
隣にも神社が合祀されており、小さな鳥居があります(素木鳥居様式)


「浅間神社」がありました


講中の筆頭に 吉植庄一郎の名があります


珍しい山包やまつつみの記念碑がありました


松尾芭蕉の句碑

芭蕉の有名な句であるようです。

原中はらなかや 津可つかず 啼雲雀なく ひばり   


鳥見神社のすぐ隣には建物や石碑が見えます。

行って見てみました ここも印西市笠神のようです


「下井公会堂」と書かれていました

『千葉県印旛郡誌』の「埜原村誌」P.643には、「寺院仏堂誌」の章に以下の記述があります。

(3) 大 日 庵

下井新田 字土手通にあり、天台宗にして 東漸寺持ちなり。
大日如来を本尊とす。
由緒不詳。
堂宇 間口 2間、奥行き 3間。
境内 10坪あり。
檀徒 15人なり。

大日庵があったところに下井公会堂が建てられたのではないでしょうか。


庚申塔や二十三夜塔などの石塔


十九夜燈 寛政12年(1800)


印西大師 番外の大師堂


弘法大師像が5体 安置されていました


付 記

掲載した写真は、2013年4月中旬に撮影したものです。