この地域には、鳥見神社が3社あります。
また、県の宗教法人一覧 でも 「鳥見神社」となっています。
この名前が〈本名〉のようです。
なぜ、そのようになったのでしょう?
この記事の中ほどにいったら、答らしいものが見つかるかもしれません。
泉鳥見神社は道路に面しています |
鳥 居 明神鳥居です |
神額には「伊津美・鳥見神社」とあります |
参 道 |
拝 殿 |
拝殿の神額 「伊津美神社」とあります |
拝殿内部 明るく広々としています |
拝殿と、その後ろの本殿 |
『沼南風土記』(沼南町役場 1981)の P.224に拠ると、祭神は
『沼南町史』(沼南町役場 1979)のP.185~186には、本神社の由緒が書かれています。
泉地区の鎮守である。
“鳥見神社”と登録されているが、実際は鳥見(饒速日命) ・ 香取(経津主命) ・ 春日(天児屋根命)の三社神を祀る。
祭神として三神が祀られているということから、「伊津美神社」という命名は妥当なものだと感じさせられます。
「鳥見・香取・春日神社」などと、三社の名を連ねた神社名は見たことがありません。
本殿 大きな建物です |
本殿の神額 「伊津美神社」とあります |
拝殿や本殿の神額には「伊津美神社」とあります。
少し前の地図に この神社が「伊津美神社」と記された理由は、ここにありそうです。
本殿の背面 |
柏市・泉地区の由緒のある神社として、鳥見神社のほかには 泉妙見社の名があげられます。
『沼南風土記』には、「妙見社と相馬氏」という節があります。
P.84~85をみると、泉妙見社に関して興味深いことが書かれています。
明治43年(1910)4月、妙見社は地区の鎮守、鳥見神社に合併されて、本殿はそっくり移転してしまいました。
これを後世にまで伝えるため、旧境内には「遺跡碑」の石碑さえも立てられました。
ところが、そののち泉では凶事が続き、妙見大明神が旧地へ帰りたいことを感得して、昭和9年(1934)になって旧地に新本殿を建立し、祭神はふたたび旧地に祀られました
ただし、公的な社号と所有地は失われたままで、鎮守(鳥見神社)の飛地となり、現在も法人格はありません。
「伊津美神社」と神額が掲げられたのは、あるいは この合併等の経緯と関係があるのかもしれません。
八幡宮の社 |
駒形神社の石祠 |
東葛印旛大師 第28番札所の大師堂 |
弘法大師像 |
本家の第28番札所である |
天満宮の社 |
石祠や金精様 |
石祠や石碑 |
隣にある「泉ふるさとセンター」から見た拝殿 |
「泉ふるさとセンター」入口 |
少し前の地図を見ると、「泉ふるさとセンター」のある場所には 「泉青年館」があったことが分かります。
柏市の資料(P.11)によると、泉青年館は 2009年に解体され、その後 現在の建物が建設されたようです。
こちらは「泉子供の遊び場」というようです。
「泉ふるさとセンター」全景 |
この建物は、鎌ケ谷市でいうと自治会館に相当します。
詳しくは、以下をご参照ください。
不明の小祠 |