今回は、「和泉鳥見神社」を取り上げます。
以下の写真は、祭礼日に訪れた際に撮影したものです。
祭礼を知らせる昼花火 ★ 「ドン!」と単発なら「号砲」、 3発続けば「三段雷」というそうです 「★」印の写真は 2013年撮影、無印は 2012年撮影 |
「奉納 鎮守御祭禮」と書かれた幟 |
道路沿いに 鳥居が見えました |
神額には「金刀比羅神社」とありました この鳥居は、昭和18年(1943)に建立 |
琴平神社 ★ |
「鳥見神社」という神額が懸かった鳥居が すぐ近くにありました ★ この鳥居は、安政6年(1859)に建立 |
道路沿いに 明神鳥居が二つ並んでいます ★ |
道路沿いに二つの鳥居が並んでいるというのは、小倉鳥見神社 とそっくりだと気づきました。
「いなざき獅子舞」と書かれた印西市の標柱 ★ |
「いなざき獅子舞」の説明板 (印西市教育委員会) ★ |
以下に説明板の内容を書き出します。
市指定無形民俗文化財
いなざきの獅子舞
昭和41年(1966)4月19日指定
この獅子舞は風流系統に分類される三匹獅子舞に道化を加えたもので、全体としては勇みの姿である。
「道化の舞」に始まり、雌獅子、中獅子、大獅子の順で「四方固めの舞」、次いで道化と獅子が四方の花笠の周囲をまわる「花笠めぐりの舞」を行い、そして舞人の交替した大獅子が「網くぐりの舞」を演じて納めとなる。
また、一舞の各所で演じられる道化の所作には、稲の豊作にからめて、子孫繁栄を析る気持ちが込められている。
平成10年(1998)3月
印西市教育委員会
本殿前での祭礼 |
本殿と その前の神主さん |
いなざき獅子舞 1 伴奏をする「笛吹き」の二人 |
いなざき獅子舞 2 「道化・大獅子・中獅子・女獅子」の4人が舞います |
いなざき獅子舞 3 稚児4人は、「花笠めぐりの舞」の「花笠」役です |
「いなざき獅子舞」については、次の記事が 写真のみならず動画も含んでおり、大変参考になります。
本神社について、大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』所収の「永治村誌」のうち、「神社誌」に 以下のように書かれています(P.545)。
(8) 村社 鳥見神社
文化13年(1816)5月15日 三建。
弘化4年(1847)仲夏下乾20日 修繕。
境内、600坪。
氏子、50戸。
1 三嶋神社
建物、縦 5尺、横 5尺5寸。
2 天満神社 菅原道真
建物、間口 5尺2寸、奥行き 1間。
3 琴平神社
建物、間口 2間、奥行き 3間。
(神社明細帳)
神社のことを詳しく知りたい者にとって大変有難いことに、本 和泉鳥見神社も、大森鳥見神社同様に多くの情報を提供してくれています。
様々なことが書かれた掲示物が 拝殿に表示されていました |
由緒書きを以下に書き出してみます。
鳥見神社は、印旛沼北岸内に集中して分布し、その範囲は古代の言美郷にも比定される。
一説に大和国城上郡鳥見白庭山の鳥見大明神を勧請したともいわれ、祭神に物部氏の祖神を祀る。
8世紀初めに成立した『常陸国風土記』には景行天皇が下総国印旛郡の鳥見の丘より霞の郷を望んだとの古伝がある。
旧和泉村の鎮守。
毎年秋分の日には「いなざき獅子舞」の奉納が行われている。
これらについても 掲示物に書かれていました。
以下は、書き抜いた境内社です。
・ 三峯神社
・ 天満神社 (天満宮)
・ 琴平神社 (金刀比羅大権現) (神塔)
・ 浅間神社 (浅間様) (神塔)
・ 足尾神社 (石祠)
境内社 左手前は 天満神社、 右奥は 三峯神社 |
境内に 出羽三山塔が並んでいました 三山塔は全部で10基 |
庚申塔も並んでいます |
庚申塔の刻造塔を見てみましょう。
庚申塔(刻像塔) 1 享保元年(1716)造立 この像の邪鬼は 横向きです |
庚申塔(刻像塔)2 享保20年(1735)造立 この像の邪鬼も 横向きです |
庚申塔(刻像塔) 3 宝暦13年(1763)造立 この像の邪鬼は 正面を向いています |
庚申塔(刻像塔) 4 天明8年(1788)造立 この像も 邪鬼(全身像)が正面を向いています |
古い文字塔も、刻像塔と並んで境内にありました。
庚申塔(文字塔) 古い文字塔は 計5基 |
『永治地区調査報告書 ―印西町石造物 第六集―』(印西町教育委員会 1989)の Pp.360~392を参照すると、これらの刻像塔や古い文字塔は、印西市和泉〔字天神山〕800番地にあった「和泉庚申塚」から移されてきたもののようです。
道路沿いの明治以降の庚申塔(全て文字塔) 新しい文字塔は 計10基 |
付 記
2013年に撮影した6枚の写真には、「★」印が付いています。